なぜメダカは沢山のタマゴを産むのか?

~この疑問の先に科学者としての私がいた~

目次

    小学生の時に私は飼育係として教室のメダカの世話をしました。メダカは沢山のタマゴを産みますが、そのままにしておくと親メダカに食べられてしまいます。そのため、毎朝水槽を覗いて親メダカのいない別の水槽にタマゴを移すのが私の役割でした。

    沢山タマゴを産むけれども親にすら食べてしまうというのはなんともかわいそうに思い、それはなぜなのか先生に質問しました。先生は「メダカは他の生き物に簡単に食べられてしまうため、沢山のタマゴを産む必要があるけれども、小さいのであまり頭はよくない」と説明してくれました。

    しかし、なんとなく腑に落ちませんでした。ただでさえ他の生物に食べられてしまうのに親メダカが子メダカを食べたりする。そのために沢山タマゴを産むというのは、なんとも効率が悪い気がしたのです。

    この時の違和感がそれほど大切とは当時は夢にも思いませんでしたが、実はこの疑問が私の科学者としてのスタートラインでした。


    大抵の魚類はメダカより沢山のタマゴを産む

    その後メダカがなぜタマゴを沢山産むかという疑問は日常生活の中では忘れていましたが、いろいろな生物を見るたびに思い出しては考えていました。また生物についての知識がもう少し増えると、大抵の生物は沢山のタマゴを産み、タマゴの数は、魚類>両生類>は虫類>鳥類>哺乳類の順で多いことを知りました。

    たとえば魚類の中でも多くのタマゴを産むとされるマグロは、一度に約1,500万個、一生のうちで数億個程度のタマゴを産みます。*1,*2

    一方で、小学生の時に沢山のタマゴを産むと感じていたメダカは、一度に数十個、一生で1,000個程度のタマゴを産みます。ですからマグロに比べれば、メダカはタマゴの数がずいぶん少ないのです。*3

    こうして見てみると、私たち人間は子どもの数が非常に少ないこともわかります。このような違いはなぜ生じるのでしょうか?


    タマゴの数はなぜ違うのか?

    海を回遊するマグロと小川などに生息するメダカでは、生息場所も生活史も大きく異なり、比較が難しいため、もう少し単純で生息場所も同じ植物プランクトンの珪藻類と渦鞭毛藻類で考えてみましょう。

    珪藻類は以下の図1のような植物プランクトンです。植物なので光合成でエネルギーを得ます。

    珪藻類の例
    図1:珪藻類の例(出所「プランクトンとは」北海道大学、海洋生物学講座)http://hu-plankton.jp/study/Plankton.htm


    珪藻は遊泳力がなく、流れに身を任せているので、突起などで表面積を大きくして沈みづらくします。これは光の当たらないところに沈んでしまえば、光合成ができずエネルギーを得られないためです。一方で写真のように体のつくりが単純であるため、条件さえ整えば迅速に増殖できます。

    一方、渦鞭毛藻類も、図2に示すような植物プランクトンで、こちらも光合成でエネルギーを得ます。鞭毛という突起を持っており、これをくねらせて遊泳できるため、光の強い水面付近にある程度留まることが可能です。*4

    渦鞭毛藻類の例
    図2:渦鞭毛藻類の例(出所「プランクトンとは」北海道大学、海洋生物学講座)http://hu-plankton.jp/study/Plankton.htm


    こうして両者を比較すると、遊泳力がある渦鞭毛藻類の方が生存に有利そうではありますが、世界中のさまざまな水域を見てみると、必ずしも渦鞭毛藻類が繁栄している訳ではありません。

    渦鞭毛藻は鞭毛により遊泳能力がありますが、一方で体の構造が複雑です。そのため遊泳が不要な環境では鞭毛を持っていることは不利になります。その結果、珪藻と比較すると増殖が遅く環境変化に弱い場合もあります。

    現在生息するすべての生物は、さまざまな環境変化に対応できたからこそ現在も生息しています。そのためいずれの種も進化の最前線におり、何かしらの特性により生存に成功してきたともいえます。

    両者の植物プランクトンの違いをエネルギーの観点で考えると、体の構造が単純な珪藻類は得られたエネルギーの大半を増殖に利用できます。一方、体の構造が複雑な渦鞭毛藻類は、体を作るのにも遊泳にも多くのエネルギーが必要で、増殖に利用できるエネルギーの割合が少ないのです。

    実はこのように考えるようになったのは、大学で地球温暖化について研究するようになってからでした。

    海洋は地球の面積の7割を占めるため、そこに吸収される二酸化炭素は膨大です。しかし海洋に生息する植物プランクトンは種によって増殖速度が異なり、それにより海洋の二酸化炭素吸収量が大きく変化するので、植物プランクトン種の変化を予測する必要が生じたのです。

    それまで生物のタマゴの数について考えていたわけですが、その視点をいったん離れ、「光合成によるエネルギーがどう分配され、それにより二酸化炭素の動態がどう変化するか?」という観点で考えたとき、タマゴの数を、生物の戦略とエネルギーの配分から考えると合理的であることに気がついたのです。

    それでは次に、メダカのタマゴの数を生き残り戦略から考えてみましょう。


    タマゴの数と生き残り戦略

    メスが出産する数を、エネルギーで考えると、タマゴを沢山産むことは、ひとつのタマゴにかけるエネルギーが少なくなるということです。多くのタマゴを産んだ後に個々のタマゴの面倒をみるというのは矛盾していますし非効率です。これにより生残率は低くなりますが、それを産卵数で補います。これを多産多死と呼びます。

    一方で出産数が少ないと、個々のタマゴに多くのエネルギーを割けることになります。限られた子どもにエネルギーを注ぐ戦略なので、子どもの面倒をよく見て生残率を高くする方が理にかなっています。これを少産少子と呼びます。

    これらの両方を同時に叶えることは不可能です。あらゆる生物は、生息する環境において適切なエネルギー配分ができたものだけが生き残ったと考えられます。

    先ほどのマグロとメダカに話しを戻すと、体長2m強にまで成長するマグロは一生で数十億のタマゴを産みますが、ひとつのタマゴの大きさは1mm程度とメダカより小さく、体長が3cm程度の小さなメダカは1.2mm程度とマグロより大きなタマゴを1,000個ほど産みます。*1,*2,*3,*5,*6

    両者ともに多産多死ではあるのですが、マグロのように海草などがなく、エサが偏在する広い海域を回遊する魚の場合には、できる限り多くのタマゴを広い海域に分散させることで、稚魚の生残率が上がるようです。

    一方、メダカの場合は水路や田んぼなどを行き来し、水草など稚魚が隠れる場所もあるので、マグロほど多くのタマゴは必要なく、体の割に大きなタマゴを産む方が生残率がよいのでしょう。

    このようにタマゴの大きさや数には生き残りを有利にする戦略があるものと見られます。またメダカの親が子を食べることも生き残り戦略として効果的な可能性すらあると考えられます。


    メダカにとっての子の意味は人とは大きく異なる

    生物の本質は、子孫を絶やさす繁栄することです。その中で大方の魚は、生存するために多産多死となりました。個々の子どもに少ないエネルギーを割くことにすれば、沢山の子どもを産むことができます。短いライフサイクルを長所として迅速に環境適応し、環境に適応した子孫を残すことができるのです。

    これに対して、少産少子の生物では、エネルギーを注ぐべき対象を厳選して、確実に育てる戦略です。少産少子の生物の極端な例として人間が挙げられます。人間は子どもを長年育て、時には孫の育児まで手伝います。これは親が自身のエネルギーを孫の未来にまで注いでいるとも言えます。

    つまり魚にとっての子どもと、人間にとっての子どもとでは、そもそも意味が大きく異なるのです。

    メダカの親が子を食べることは必ずしも非効率ではないのかもしれない

    魚の場合は大量に産んだ中から環境に適応できる個体が数匹残れば優秀な遺伝子が最短で残ります。したがって極論すれば、親に食べられるような子どもの遺伝子は残らないほうが環境適応がスムーズになされますし、このような個体は親が食べなくともいずれ他の魚に食べられる可能性が高いでしょう。せめて親のエネルギーとして再び活用される方が効率的なのかもしれません。生物に比較的多く見られる共食いもこのたぐいといえるでしょう。

    冒頭に書いた通り、小学生の私は「ただでさえ他の生物に食べられてしまうのに親メダカが子メダカを食べたりする。そのために沢山タマゴを産むというのは、なんとも効率が悪い気がした」のですが、メダカにとってはその方が生き残りに有利なのだろうと考えるようになったのです。

    メダカの親が子を食べてしまうのは怖いと感じるのは理解できますし、私もいまだにそう感じるのですが、一方でその視点はあくまでも人間目線ともいえます。私は魚の視点を得るのにずいぶん時間を要しましたが、科学が私の視点を180度変えてくれました。

    自然淘汰による進化から外れつつある人間が選ぶべき道

    さらに人間について考えてみると、現在の人間は他の生物からの脅威はほとんどありません。代わりに、同じ人間内の競争があります。このような競争に生き残るには、大きく2つの戦略があるでしょう。

    ひとつは子どもや孫が他の人間より競争力をもつように育てることです。幼児期の育児はもちろん、お受験などでよい学校に行けるようにしてよい仕事に就けるように手助けしたり、相続など金銭的な支援をします。

    もうひとつは自身が不老不死になることです。進化が種の生き残りのためであるなら、不老不死ならそもそも進化の必要性が減ります。

    不老不死は自身が死なないことですが、これから生まれてくる子どもを死にづらくするという意味では遺伝子操作も不老不死に似ています。寿命が長く、種間競争で死ぬことがほとんどなくなった人間が進化するための手段といえるでしょう。もちろん遺伝子操作を推奨する意図はなく、あくまでも上に書いたような生物の戦略としての限られた見方からの解釈です。

    生物の生存戦略として見たとき、メダカと人間では必要な戦略が異なるため、子どもの意味がそもそも違うのですが、どちらも生物としてできる限り種を存続させようとしているという点では違わないと言えるでしょう。


    メダカについて考えることは人間について考えること

    こうしてメダカのタマゴの数を理解する上では、メダカ以外についての知識も重要なことがわかります。メダカについて考えても何の役にも立たなそうですが、私たちが人間である以上、他の生物について考えたとしても、やがては人間の理解につながります。

    人間である以上その価値観から逃れることは難しいのですが、メダカからの視点を得ることで私の価値観が一変したのです。

    皆さんも幼い頃から多くの疑問を感じたことでしょう。説明を聞いても「なにかへん」と感じたことはありませんか。このような感覚は科学者にとって大変重要です。科学は仮説検証の過程で「予想通り」ではなく「なにかへん」と感じたときに前進します。

    好奇心をもって、疑問を忘れさえしなければ、沢山の視座を得ることで、いつかその疑問が氷解するときがきます。その点で科学者にとっての一切の経験は無駄にはなりません。

    このようなことが時々起きる科学者という仕事に興味をもって頂けたら嬉しく思います。


    参考文献

    *1 
    国際水産資源研究所「太平洋クロマグロの生物学」p.9, p.10
    https://www.fra.affrc.go.jp/topics/20160229/ohshita.pdf

    *2
    国立研究開発法人水産研究・教育機構「マグロの種類」
    https://www.fra.affrc.go.jp/kseika/maguro/type/index.html

     

    *3
    国土交通省「おもしろ生き物図鑑」
    https://www.qsr.mlit.go.jp/sendai/sendai_river/kankyou/zukan/

     

    *4
    北海道大学、海洋生物学講座「プランクトンとは」
    http://hu-plankton.jp/study/Plankton.htm

     

    *5
    魚類学雑誌、久保 伊津男, 櫻井 裕「メダカの計測」p.1
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jji1950/1/5/1_5_339/_pdf/-char/ja

     

    *6
    中村依子・須山実咲・向平和・日詰雅博「小学校における胚発生の観察方法に関する実践的研究」、『生物教育』第59巻、第一号、2017, p.1

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjbe/59/1/59_2/_pdf/-char/ja

    画像

    フリーライター

    鯉渕 幸生 Yukio Koibuchi

    Ph.D。米国標準技術研究所研究員、中央大学研究開発機構教授、Recora LLC 代表取締役CEOを兼務。沿岸環境の改善やそのためのドローンやロボットに関する研究開発に従事。ライターとしては、科学技術、環境問題、スタートアップ支援などのテーマで執筆している。

    前の記事

    一覧へ戻る

    次の記事