反物質をトラックで運ぶ試みのリハーサルに成功

~「反物質輸送中」のトラックが走る日も近い?~

目次

    この宇宙は物質に満ちている一方で、対を成す「反物質」はほとんど存在しません。この偏りは理論的に説明されておらず、宇宙の大きな謎の1つとなっています。この謎を解くために、反物質の性質を精密に調べる実験が行われていますが、研究環境の問題から精度の限界に達しています。

    これを改善するためには、反物質を他の場所に輸送するしかありません。

    2024年10月24日、CERN (欧州原子核研究機構) は反物質の1つである「反陽子」をトラックで輸送するための容器「BASE-STEP」のリハーサル運用に成功したと発表しました。リハーサルのため、容器に詰められたのは反物質ではありませんが、それとほとんど同じ状況での成功です。予定通りいけば、2025年中には「反物質輸送中」のトラックが走る日も近いかもしれません。

    図1: 反物質を輸送する「BASE-STEP」は、トラックで運べるほどの小さなサイズに設計されました。 (Credit: CERN)
    図1: 反物質を輸送する「BASE-STEP」は、トラックで運べるほどの小さなサイズに設計されました。 (Credit: CERN)

     

    宇宙の基本要素なのに見当たらない「反物質」の謎

    「反物質」は、物質と対をなす存在であり、どこか非日常的・SF的であると感じるかもしれません。

    しかし実際は宇宙の基本的な構成要素です。例えば、生物や岩石など身近な物質に含まれるカリウムは、ごくわずかに電子の反物質である陽電子を放出します。大雑把に計算すれば、人体は25秒に1個の陽電子を放出していることになります。これはおそらく最も身近な反物質の例でしょう。

    ただしもちろん、カリウムの多いチョコレートやバナナを容器に密閉しても、容器内に陽電子が溜まることはありません。反物質は物質と出会うと、両方とも消滅してエネルギーに変換されてしまうからです。宇宙は物質に満ちているため、何らかの方法で反物質を生み出したとしても、すぐに消滅してしまいます。 これは日常的な範囲を離れ、宇宙全体を見渡しても同じであると考えられています。

    しかし現代物理学は、宇宙は物質に満ちていて、反物質がほとんど存在しないという事実にうまく答えられていません。これは、誕生直後の宇宙はエネルギーの塊であり、物質も反物質もなかったことが関係しています。宇宙が誕生してしばらく経つと (といっても1秒よりずっと短い時間ですが) 、エネルギーから物質や反物質が生じるようになりますが、この時の発生は必ずペアであるという点が重要です。

    例えば、十分にエネルギーの強い光からは、電子と陽電子が必ずペアで生成します。電子のみや陽電子のみという発生はありません。同じく、電子と陽電子は勝手に消滅することはなく、お互いが出会うことで初めて消滅し、エネルギー (光) となります。これは理論的にも実験的にも証明されています。

    つまりこのままだと、宇宙では物質と反物質が同じ量だけ誕生し、すぐにお互いとも消滅し、エネルギーに変換されてしまうことになります。やがて宇宙が膨張しすぎると、物質と反物質が発生するような環境ではなくなってしまうため、物質も反物質もほとんどゼロな宇宙となってしまうでしょう。

    これは、「物質が豊富で反物質がほとんどゼロ」という、実際の宇宙とはかけ離れています。


    反物質の性質を調べる研究は限界に達している

    「理論的には宇宙に物質が満ちることはない」と「現実の宇宙は物質に満ちている」というギャップに対して、多くの物理学者は理論を疑っています。

    現在の理論では物質と反物質は必ずペアで生成するとしていますが、この「必ずペア」という部分に誤りがあるのではないか?と考えています。より具体的には、物質と反物質は必ずペアで生まれるのではなく、物質が反物質と比べて10億分の1ほど多く生成されれば (つまり、反物質10億個に対し、物質が10億と1個生成されれば) 、物質に満ちた宇宙を作ることができます。

    もし、物質が反物質より多く生成されるとするならば、物質と反物質の性質はわずかに異なるものとなります。これも、現在の理論では予測されていない現象です。例えば電子と陽電子を比較すると、質量などの性質は全く同じ値をとります。帯びている電気の符号がマイナスかプラスかのように、鏡写しに反転している性質もありますが、符号を無視して帯びている電気の強さで比較すると、全く同じ値をとっています。

    もしも現代物理学の理論に反し、物質と反物質にわずかでも性質の違いが見つかれば、大きな発見となります。このため、物質と反物質の性質の違いを探る研究が行われており、例えば「CP対称性の破れ」と呼ばれる性質は、物質と反物質で異なる性質が実在することが確かめられたため、1980年のノーベル物理学賞に輝いています。しかし、まだまだ未知の違いが眠っているとされており、精密な実験が繰り返されています。

    とはいえ、この種の実験の問題点として、冒頭で言及した身近に反物質がないという問題が立ちはだかります。

    物質と反物質の違いを見つける実験は、重くて寿命の長い反物質で行うほど有利になります。例えば、原子核の構成要素である陽子の反物質である「反陽子」は、理想的な重さと寿命を持ちます。しかし重い反物質であるために、世界に数ヶ所しかない大きな粒子加速器でしか生成することができません。

    物質と反物質の性質を測定する実験では、わずかな磁場も測定のノイズとなります。しかし反陽子を生み出す装置は極めて強い磁場を発するため、主要なノイズ源となってしまいます。これを防ぐには、反陽子を粒子加速器から離れた場所 (理想的には、生成した研究機関から遠く離れた別の研究機関まで) まで運び、そこで測定する必要があります。これは、反陽子を容器に詰めて運ぶ必要があることを意味します。

    当然ながら、反陽子は容器を構成する陽子と対消滅して消えてしまいますので、容器には工夫が必要です。反陽子の動きは、磁場をかければ制御でき、反陽子が容器の壁に触れないよう磁場のバリアを作ることができます。このため、超伝導電磁石を備えた強力な磁場発生装置をつける必要があります。そして超伝導電磁石は液体ヘリウムで冷却する必要があるため、液体ヘリウムを冷却し続けるための電源装置を取り付け、電池切れを起こす前までに輸送しなければなりません。

    そして、これらの容器を積んだトラックは普通の道路を走行するため、加速・減速の時に振動に晒されます。容器はこれらの加速度を中和する免震装置がないといけません。そしてこれら全ての要件を満たした容器を、なるべく小さなサイズに納めないといけません。ドアやシャッターより大きなサイズでは、他の研究機関での受け入れが困難なためです。


    「反物質輸送中」のトラックが走る日も近い!?

    CERNでは、陽子と反陽子の性質の違いを測定することを目指す「BASE実験」を行っています。陽子や反陽子には磁気モーメントと呼ばれる、簡単に言えば微小な磁石としての性質があります。従来の理論では、陽子と反陽子の磁気モーメントの違いは、符号を除けば完璧に等しいはずです。しかし物質と反物質の性質に違いがあれば、陽子と反陽子の磁気モーメントの値に違いがあるかもしれません。

    BASE実験を行うCERNのADホールでは、最大で1年間も反陽子を保管することに成功しています。しかし、他の実験装置から発生する磁場がノイズとなっており、これ以上精密な測定をすることが困難となっています。そこで、外部への反陽子の輸送を可能にする「BASE-STEP」と呼ばれる容器の開発が進められています。

    図2: 写真左側のクレーンで吊るされた箱がBASE-STEP。以前より小さな装置のため、小さなクレーンで吊るせるほどの大きさになっています。 (Credit: CERN)
    図2: 写真左側のクレーンで吊るされた箱がBASE-STEP。以前より小さな装置のため、小さなクレーンで吊るせるほどの大きさになっています。 (Credit: CERN)


    BASE-STEPは、先述の難しい要件をすべて満たした上で、重量を約1トンに抑えています。設置面積も、BASE実験で使われている従来の装置の約5分の1であり、研究機関のドアをくぐるのに十分な大きさとなっています。

    2024年10月24日、BASE-STEPでの反陽子運搬を想定したリハーサルが行われました。実際に運ぶのは反陽子ですが、リハーサルでは70個の陽子を詰め、CERNの敷地内をトラックで輸送しました。磁場で動きを制御できるのは陽子でも反陽子でも同じであるため、陽子はリハーサルにうってつけです。また、陽子そのものは物質であるため対消滅はしませんが、容器に触れると容器を構成する原子に吸収されてしまうため、セッティングが不完全な場合に "消滅" する状況を再現することができます。

    今回のリハーサルでは、CERNの敷地内とはいえ、初めてトラックで粒子を輸送することに成功しました。次なる目標として、2025年のうちに、実際に反陽子をフランスとスイスの国境のすぐそばにあるADホールから、直線距離で550kmも離れたドイツのハインリヒ・ハイネ大学まで運ぶことを目指しています。もし成功すれば、反陽子の性質をこれまでの100倍の精度で測定可能となるでしょう。

    そしてBASE-STEPの最終目標は、反陽子をヨーロッパ全土の研究施設へと運ぶことです。近い将来、「反物質輸送中」と書かれたトラックがヨーロッパの道路を走っている光景が現実に起こるかもしれません。


    参考文献

    Sarah Charley. (Oct 25, 2024) "BASE experiment takes a big step towards portable antimatter". CERN.

    画像

    サイエンスライター

    彩恵りり Riri Saie

    「科学ライター兼Vtuber」として、最新の自然科学系の研究成果やその他の話題の解説記事を様々な場所で寄稿しています。得意分野は天文学ですが、自然科学ならばほぼノンジャンルで活動中です。B-angleでは、世界中の研究成果や興味深い内容の最新科学ニュースを解説します。

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